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2015.06.18

サブカル日記◇太陽の王子ホルスの大冒険 ハンニバル・レクターに匹敵するキャラクターの強さ

魂を傷つけてくる芸術ってゆーものがこの世には間違いなく存在していて、俺はそんな作品に出会うために映画を見続けている。

本当の芸術には糞みたいなサプリメント的癒やしなんかじゃなく、こちらの何かを削り取っていくようなたぐいの救済がある。
それに出会ってしまったせいで、取っていたつもりの人生の舵が狂う。俺と同じような人は意外と多くいるはずだ。
正直、上っ面だけでサブカル語ってる後輩芸人の忍ケンタウロス熊崎とかのことを、逆に幸せだな、とも思う。こっちに来たらもう二度と後戻り出来なくなっちまうからだ。


『太陽の王子ホルスの大冒険』。
この作品は俺の魂を抉り取っていったよ。また人生が狂う映画が一本増えた。


2012061717503489e.jpg


壮大なフリじゃないよ。ガチでマジにオールタイムベスト級に大傑作。
ちなみに高畑勲監督作品で、宮﨑駿が一部携わっている。とてもジブリな作品。

神話的な物語を豊かなアニメーションで見せてくれる、この作品の最大魅力は、ヒルダと云うヒロインの少女のキャラクターに尽きる。

horusu06.jpg

これからネタバレをするので、まだ作品を観ていない人が読んでいたら、ここで止めてDVD借りてから戻ってきて欲しい。
で、だよねー。って一緒に共感しよう。

ダウンロード


いかにもヒロイン然として登場したこのヒルダ、実は悪の親玉である悪魔グルンワルドの妹なのです。

まぁ文書化するとたいした仕掛けではないです。しかし実際に映画に乗ると、巧みな演出で「むむ」っとなります。
その「むむ」を入り口に、大冒険をしていたホルスの物語は完全にヒルダに乗っ取られます。

悪魔の妹であると云う業を背負っているこの少女が、主人公であるホルス、そして暖かく迎え入れられた町の人々との間に揺れると云う非常にシンプルかつメロドラマ的展開が面白さの軸になってくるんだけど、ヒルダのキャラクター造形がポンっと規範を飛躍してしまっている。

ちまっとしたビジュアル。わずかばかりにしか変えない悲しみをたたえたアンニュイな表情。人形のような生気を欠いた雰囲気。
宮崎アニメで例えるなら、一見クラリスやらシータのようにカテゴライズ出来るが、その本質はおしとやかなヒロインではなく「怪物」として描かれている。

ちまっとした無表情のまま、あらゆる知略と魔力を使って人間を根絶やしにしようとしてくるのだけれど、その本気っぷりが本当に素晴らしい。無表情の奥に潜む「怪物性」。そして葛藤から生まれる「私は悪魔」「人間を根絶やしにする」などのアンビバレンツなセリフに心がかき乱される。

本気だからこそ描ける、自分の呪われた血に引き裂かれていく苦しみや悲しみの深さは、フィクションだから呼び込める質の感情で、それは安易な癒やしには結びつかない、強烈な一撃を魂に与えてくれる。
基本俺はメロドラマ的な設定に対して、なんでも甘々に受け容れて楽しんでしまうメロドラマヤリマンなんだけど、ヒルダが生む感情のうねりは失神するほどでかい。

ヒルダに俺の魂は完全に傷つけられてしまったよ。

しかし本当に秀逸なキャラクターで、日本映画史の女性キャラクター屈指。ハンニバル・レクター博士に匹敵する強さと言ってしまってもいいんじゃないだろうか。

問題はホルス、完全に噛ませ犬で、悪の大将グルンワルド、モブ過ぎってことかな。


観てよかった!!!
得点は4.7魂!


補足
高畑勲監督作品なんだけど、(シナリオは違うものの)そのままかぐや姫の物語に接続できちゃう感じも実に興味深いです。


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Posted at 08:11 | 映画感想 | COM(0) | TB(0) |
2014.07.20

武闘派サブカル男子あじさい澤の文化系地獄めぐり◆『ガンバレとかうるせぇ』を観たから、せっかくだし最速レビュー~2014年7月19日

昨年やったあじさい単独ライブのOP映像を撮ってくれた佐藤くんの監督作品、『ガンバレとかうるせぇ』を観賞してきました。知人の劇場初一般公開なので、日記の時系列を無視して、感想をつらつら書いていこうと思います。

あと、うだうだを始める前に、とりあえず、純粋に面白かったよ!



夏の大会で敗退した山王高校サッカー部。
3年生マネージャーは例年そこで引退するが、マネージャーの菜津は冬の選手権まで残る­ことをキャプテンの豪と誓い合った。
しかし周囲には理解されず、後輩部員からは必要とされない菜津。
エースである健吾の引退に伴い、チームメートからの信頼の無さが浮き彫りとなる豪。
2人の周りの景色は次第にズレていった。


と云うあらすじ。

まず特筆すべきは、主人公であるマネージャーだ。

得体の知れない衝動に突き動かされた彼女は、時にまるで何かの怨念のようにすら見える。

これは事によると、このマネージャーのせいで死人が出るのではないか、と思わせるほどの不吉さで、その不穏さは、画面上にも影として、例えばキャプテンのバストアップのカットなどにくっきりと刻まれている。

また、まるでその怨霊に取り憑かれているかのように、冷静さを失い、部活に対して関わっていこうとするキャプテンの顔も暗く、良い。

というか、メイン二人の顔つきがとても暗い。いったい全編を通す、この仄暗さなんなのだろうか。72分という、短くはない時間に、若者特有の明るさが描かれることは一切ない。

真っ直ぐなようで捻り曲がった真っ黒いマネージャーの情念が画面と物語を覆っている。

物語上重要な役割を与えられていない、いじめっこAが不用意にキラキラと輝いて目立つ、『ガンバレとかうるせぇ』はほんとにほんとに陰惨な青春映画だった。

しかも最後のカタルシスまで奪い去ると云う徹底ぶり。こんなに「青春」の暗い側面をあぶり出した映画はなかなかお目にかかれない。ニッチが故に需要の高い、間口を広く取りながら、刺さる人にはめちゃめちゃ刺さってしまうのではないか、と思わせる映画だった。

一つだけ難点を言えば、物語を駆動している軸が、若干ぶれているように感じた所。

『接吻』の小池栄子を思わせる様な、マネージャーの得体の知れないパワーを感じる演出/演技に対して、シナリオがその得体の知れなさを無理やり言葉に落とし込んでしまっているような違和感を感じた。

シナリオと写ってるものの間の大きな隔たり。内面を吐露したと思われるモノローグの内容や、端々のセリフがどうもそぐわないように思えた。外的な些事で自発的に部活を辞めるようなキャラクターにもちょっと見えない。

その違和感が表出してしまったのが、舞台挨拶でシナリオとは違う「アドリブ」だったと言っていた、ケンカのシーンだろう。得体の知れないパワーの表出。恐らくあのキャラクターの潜在性はああ言ったものだったのではないか。

と、まあ、いくつか個人的に惜しいなーと思う、ちょっとだけ好みと外れるような部分はあったものの、何がやりたいか明確にわかる監督の演出は面白いし、ドラマもぐっと引きつけてくれる。

おめでたいことにPFFの本戦に選出されたみたいなので、お時間のある方はぜひご観賞を!


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(※こんなような印象だよ、マネージャー。『ゆうやみ特攻隊』のミダレガミ)

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Posted at 07:04 | 映画感想 | COM(1) | TB(0) |
2014.07.05

武闘派サブカル男子あじさい澤の文化系地獄めぐり◆渇き。を観たからタイムリーに書く~2014年7月4日

7月4日
中島哲也監督『渇き。』を観る。
とてもおもしろかったので、日記をすっ飛ばして感想を書こうと決めました。





手持ちでブレるカメラ、被写体へのクローズアップ、感情や暴力の過剰な表現。
中島哲也監督は毎作毎作卓越した嗅覚でもって、「いま」の日本映画的・映画表現にアップデートしてくる印象があるが、今作はまるで韓国映画のようのスタイルで撮られた映画だった。
登場人物の「人間性」のようなものを排除し、キャラクターとして、まるで漫画のように描き切った『告白』の後はこう云う語り口できたか、とワクワクした。「人間」を描くつもりがさらさらなく、随所に挟まれるコミック調のカットインなどを考えると正常進化とも言えそう。細かいカットを積み重ねていくリズムのテンポ感も気持ちがいい。
これは主人公の制御しきれない情感と荒唐無稽な物語をかたるのに適したスタイルだったと思った。
たとえば、園子温の暴力シーンは、時にギャグに見えてしまう。しかしこの『渇き。』は、過激な暴力の荒唐無稽さを、ちゃんと暴力のまま表現できているように感じた。とても痛いし、かなりエグい。

また、「告白」で鮮明に描かれていた、からっぽな人間のからっぽなリアリティに関して、
「渇き。」においては特に娘に背負わされているが、像がぶつ切りになっているせいで、ちょっと焦点を結ぶのが難しかった。少し残念だなーとおもったが、今回の物語に関しては、娘の掴み難さも物語を牽引する大きな要因であるわけで、これに関してもさすがの力量だなーと改めて監督の才を実感。

スピード感とてんこ盛り感。「なぜ日本でやらないんだ!」と映画ファンなら誰もが思っていたであろう韓国映画スタイルと云う、今の日本映画が成し遂げるべき表現がめちゃくちゃに高い水準で達成されていて、とてもとても満足でした。



(ここから1ブロックちょっとだけネタバレ)




しかしこの物語をもしも黒沢清が撮ったら、と夢想してしまう。ある種の静謐さをもって撮られていたならば、娘の幽霊に導かれ、ずぶずぶと泥沼にはまり込むように地獄に沈んでいく男の彼岸の感情や、この残酷な世界の理不尽さがもっと克明になったのではないか。

今回の中島哲也のスタイルは間違いではないが、暴力シーンとテンポのいい活劇シーンに焦点が絞られた為、その可能性が閉ざさらてしまったのが個人的に惜しいと思った。


渇き


さて、

そんな個人的な意見はさて置き、R15で大丈夫か?と思うようなハードコアな暴力描写、鬼畜なキャラクター、どこまでも無限に落下していくフリーフォールのような、ハイスピードかつ底なしの物語は、ちゃんとお金を払って映画館で観る価値のある映画だと思いました。暴力や陰惨さに強い耐性があるならばとてもおすすめの映画です。

Posted at 02:47 | 映画感想 | COM(0) | TB(0) |
2014.06.06

あじさい澤のサブカル日記◆『共喰い』についての感想~2014年5月30日 

30日
青山真治監督『共喰い』を観る。

最近の青山真治の映画に強く出ている傾向のように思うんだけど今回も、女優と芝居が良い。
田中裕子さんの芝居がいちいち泣ける。本当に素晴らしい。エンドクレジット前に、母に捧げる的な英文が掲げられるんだけど、なんか非常になっとくしてしまった。

ロード


とあるシーンで、一人の人間が人を殺すに至る宿業のようなものを感じた。殺人に至る情感とでも言おうか。そう云うものを背負ってしまった人間のもわっとした色気にドキドキした。
そしてそんな共感を超えた納得を感じるために俺は物語をさがしている。だからとても面白かったし、見てよかった。


tomogui.jpg

それから、何がしかの型から逃れるような映画だと思った。ほんとに漠然とした書き方なんだけど、映画を観ていると、噛み砕かれた映画の記憶のようなものを感じる事があって(それはストレートにオマージュって呼ばれるものであったり、もしくはアメリカ映画のように集積された技術の発露だったり、意識的にせよ無意識にせよ、過去の参照が比較的しやすいメディアと云う事もあり、映画は、いままで生産された作品の集積の上に成り立つ芸術で、他のものよりその側面が強い、と思っていて)、青山真治の映画も『サッドバケーション』より前は、記憶を噛み砕いた感の強い映画を撮っていたような印象があった。
しかし今回の『共喰い』も含め『サッドバケーション』以降の青山真治はそんな集積を感じない作品を撮り続けているように思う。
その集積の感じなさは、◯◯のような日本映画、と言いづらい映画であるのは勿論のこと、もっと言えば、「日本映画」とすら呼びづらいような所まで行ってしまってるようにもみえる。「これは日本映画と云う狭い地域性に縛られた映画ではない。アジア映画だ!」なんて漠然とした事を言い放ちたくなるような器のデカさがあった。

集積を礎にすることで、何かもっと新しい、視座の高いものを作ろうとする強力な意志。下じきにした映画の残骸を導引し、日本をアジアと捉えなおす事で、新しい映画が立ち上がってくる感触のする作品だった。




Posted at 05:28 | 映画感想 | COM(0) | TB(0) |
2014.02.24

『大統領の執事の涙』感想

先日のウルトラC映画部ライブで見に行った映画。
本編のリハ等々の準備がギリギリだったり、コートなくしたりで、意見がまとまり切らないと云う致命的なミスをしたので、ここで尻拭い。



おすすめ度:5つ星満点で4.1。とても秀逸なホームドラマ。



このドラマが秀逸だと思う理由は、物語を引っ張っている、主人公の残酷なまでの引き裂かれ方だ。

白人に、母親を陵辱され、父親を殺された黒人の少年が、生きるために身につけた/身につけてしまった職が、「給仕」と云う憎むべき白人に使える仕事であった、引き裂かれ。
激動のブラックパワー運動全盛の時代に、体制側のホワイトハウスに務めることになった/なってしまった、引き裂かれ。
リベラルな黒人人権運動に参加している息子を持ってしまった、引き裂かれ。
などなど。

そんな引き裂かれ忍ぶことで複雑なメンタリティを持つことになった主人公が、激動の歴史の中でどう動くか、どう翻弄されるかを「家庭」単位で描いたすぐれたホームドラマだった。

特に、「ホームドラマ」として見てみると、親子の葛藤や対立の軸が、「社会」のレベルまで引き上げられているのがよい。
保守/リベラルと背負っているものの譲り難い対立によって生じてしまう、親子の結びつかなさがドラマとして面白く、さらに主人公の引き裂かれた生い立ちも(本来彼が抱えているはずの怒りも)スパイスになってその面白さに貢献しているように思う。
しかもそこに、妻との不和と云う通俗性が持ち込まれることで、図式化から免れているように見えた。

引き裂かれ、揺れる男の話。だからホワイトハウスでは静かに涙し、家庭では息子に対し怒りをあらわにする。
この辺りから、かーー!いいドラマだなーと思いました。

で、この映画が特に面白いなーと思ったのは、執事が大統領や他の白人から認められ、さらには前例を破ってホワイトハウス内で昇進し、パーティに招かれるシーン以降。
俺はてっきり最初、パーティシーンで終わっていくのかなーと思ったんです。
物語の序盤から、ホワイトハウスに招いて欲しがっていた妻の願望を叶え、成功して成り上がると云う自己実現が成立して、とても「オチ」っぽかったから。
あーここで終わるのか、しかしこれは劇中で批判している「白人にも馴染みやすくした黒人映画」にみえるなーと思っていたら、しかしそこでは終わらない。むしろ、そのパーティで主人公は強烈な違和感を覚える。
その引き裂かれたメンタリティを初めて自覚してしまったようにみえるこのシーンから、引き裂かれた男のメンタリティを解きほぐしていくドラマが始まっていきます。

執事をやめる事を取っ掛かりにし、
保守/リベラルで引き裂かれていた親/子の和解、
生まれ育った農園への訪問、
そして「白人に仕える」と云う彼の(または黒人の)「引き裂き」を覆す、バラク・オバマの当選。
反体制側から変えることのできなかった「歴史」が保守の側からぐらっと変化する瞬間に立ち会います。
どうにもならないと思われていた「引き裂き」が、最後の最後、歴史的奇跡によって解きほぐされる。
小学生でも知っているようなニュースが、アメリカの歴史と主人公の個人史をいっきに見ることでドラマとしか言いようのないものに化けているのが面白い。

母が陵辱され、父が理不尽にも殺された、「世界」に見捨てられた少年の個人史が、「YES WE CAN」と云う歴史的な言葉に接続して閉じられたこの映画の幕引きは、見事、としかいいようがないとおもうのですが、どうでしょう。


追記。

引き裂かれている主人公の顔が、中盤くらいまでがちゃ目、左半分閉じられているような顔をしているが、「解きほぐし」が始まることで、両目がきちんと開いているように見えたが・・・気のせいかもしれない。


Posted at 06:55 | 映画感想 | COM(0) | TB(0) |
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