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2014.02.24

『大統領の執事の涙』感想

先日のウルトラC映画部ライブで見に行った映画。
本編のリハ等々の準備がギリギリだったり、コートなくしたりで、意見がまとまり切らないと云う致命的なミスをしたので、ここで尻拭い。



おすすめ度:5つ星満点で4.1。とても秀逸なホームドラマ。



このドラマが秀逸だと思う理由は、物語を引っ張っている、主人公の残酷なまでの引き裂かれ方だ。

白人に、母親を陵辱され、父親を殺された黒人の少年が、生きるために身につけた/身につけてしまった職が、「給仕」と云う憎むべき白人に使える仕事であった、引き裂かれ。
激動のブラックパワー運動全盛の時代に、体制側のホワイトハウスに務めることになった/なってしまった、引き裂かれ。
リベラルな黒人人権運動に参加している息子を持ってしまった、引き裂かれ。
などなど。

そんな引き裂かれ忍ぶことで複雑なメンタリティを持つことになった主人公が、激動の歴史の中でどう動くか、どう翻弄されるかを「家庭」単位で描いたすぐれたホームドラマだった。

特に、「ホームドラマ」として見てみると、親子の葛藤や対立の軸が、「社会」のレベルまで引き上げられているのがよい。
保守/リベラルと背負っているものの譲り難い対立によって生じてしまう、親子の結びつかなさがドラマとして面白く、さらに主人公の引き裂かれた生い立ちも(本来彼が抱えているはずの怒りも)スパイスになってその面白さに貢献しているように思う。
しかもそこに、妻との不和と云う通俗性が持ち込まれることで、図式化から免れているように見えた。

引き裂かれ、揺れる男の話。だからホワイトハウスでは静かに涙し、家庭では息子に対し怒りをあらわにする。
この辺りから、かーー!いいドラマだなーと思いました。

で、この映画が特に面白いなーと思ったのは、執事が大統領や他の白人から認められ、さらには前例を破ってホワイトハウス内で昇進し、パーティに招かれるシーン以降。
俺はてっきり最初、パーティシーンで終わっていくのかなーと思ったんです。
物語の序盤から、ホワイトハウスに招いて欲しがっていた妻の願望を叶え、成功して成り上がると云う自己実現が成立して、とても「オチ」っぽかったから。
あーここで終わるのか、しかしこれは劇中で批判している「白人にも馴染みやすくした黒人映画」にみえるなーと思っていたら、しかしそこでは終わらない。むしろ、そのパーティで主人公は強烈な違和感を覚える。
その引き裂かれたメンタリティを初めて自覚してしまったようにみえるこのシーンから、引き裂かれた男のメンタリティを解きほぐしていくドラマが始まっていきます。

執事をやめる事を取っ掛かりにし、
保守/リベラルで引き裂かれていた親/子の和解、
生まれ育った農園への訪問、
そして「白人に仕える」と云う彼の(または黒人の)「引き裂き」を覆す、バラク・オバマの当選。
反体制側から変えることのできなかった「歴史」が保守の側からぐらっと変化する瞬間に立ち会います。
どうにもならないと思われていた「引き裂き」が、最後の最後、歴史的奇跡によって解きほぐされる。
小学生でも知っているようなニュースが、アメリカの歴史と主人公の個人史をいっきに見ることでドラマとしか言いようのないものに化けているのが面白い。

母が陵辱され、父が理不尽にも殺された、「世界」に見捨てられた少年の個人史が、「YES WE CAN」と云う歴史的な言葉に接続して閉じられたこの映画の幕引きは、見事、としかいいようがないとおもうのですが、どうでしょう。


追記。

引き裂かれている主人公の顔が、中盤くらいまでがちゃ目、左半分閉じられているような顔をしているが、「解きほぐし」が始まることで、両目がきちんと開いているように見えたが・・・気のせいかもしれない。
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